初期大和王朝発祥の地と日本武命
初期大和王朝発祥のちとしては、邪馬台国(三世紀)頃の多くの遺跡群があり、古代からの信仰の山、三輪山を背にした山麓から西方を望む地域
一帯が初期大和政権成立の舞台とされる所で、初めての天皇が第10代崇神天皇とされている。
その孫にあたる第12代景行天皇のときになって、ようやく地域に渡り支配権を確立していたと考えられる。
巻向遺跡は、初期大和政権の「都宮」と目されています。
景行天皇日代宮跡
第10代 崇神天皇 桜井市金屋、 磯城瑞かき宮
(志貴御県坐神社)
第11代 垂神天皇 桜井市穴師 巻向珠城宮
第12代 景行天皇 桜井市穴師 巻向日代宮
垂神天皇 巻向珠城宮跡
景行天皇陵
山岳信仰が盛んであった頃の都造りに、神聖な三輪山は、最もふさわしい所だったのでしょう。 弥生時代から飛鳥時代になり中国文化の影響で、四神相応の地
を求めてやがて平城京、平安京へと都は、移っていきます。
日本武命
古事記、日本書紀によれば、景行天皇から九州の熊襲、出雲を征伐するよう命じられ、軍勢もないまま西国を平定、やっとの思いで大和に帰って
くるが、すぐさま東国の蝦夷を征伐せよと命じられた。
幾多の困難の末、東国を平定されたが、大和へ帰る途中、伊吹山の神との戦いに敗れ、深い傷を負い、のぼの(三重県亀山市)で力尽きた。
琴弾原から望む二上山
すぐさま大和の国に伝えて、崩じられ御陵を造り葬ったところ、白鳥となって大和へ飛び去り、やがて白鳥は琴弾原(奈良県御所市冨原)に留まった。
そこに御陵を造ったところ、再び白鳥は、飛び立ち河内の国、旧市邑(大阪府羽曳野市古市)に舞い降りたのでその地に御陵を造った。
その後白鳥は、ついに天高く飛び去ったという。
俗にこれらを白鳥の三陵といって三重県(亀山市)、奈良県(御所市)、
大阪府(羽曳野市)は現在も幅広く交流が結ばれている。
羽曳野白鳥陵から遠くに二上山を望む
日本武命 要点を拾ってみた
三世紀後半、大和朝廷の威力が伊勢に及んで
平定され、大和朝廷の宗廟として伊勢に宮
が造られた。伊勢に神宮が祀られることは、
大和朝廷東方発展を示す皇位の宣布であり
景行天皇の東方発展の根拠地となった。
日本武命は、伊勢に仕える叔母の倭姫命から
ヤマタノオロチから取り出し天照大神に献上した
アメノムラクモの剣を受けて東方へ征った。
静岡の草原の神との戦いで危ういところを
アメノムラクモの剣で難を逃れ、以後この剣を
草薙の剣と改める。
伊吹山の神との戦いで素手で戦うといって
草薙の剣を美夜受比売に預けて行く。
日本武命は、西国を平定し宮に戻るが、
羽曳野で一人の娘と出会い二人は、
やがて結ばれる。その名は、弟橘比売。
国偲び詩の一部を紹介しながら古代を偲んで
みたい。
倭は国のまほろば
たたなずく青垣
山こもれる 倭しうるわし
いのちの またけむ ひとは たたみこも
へぐりのやまの くまかしが
はをうずさにさせ そのこ
「これから無事に命を全うして故郷に帰る人は
あの倭の国の平群の山の大きい樫の葉を髪に
さして祝い楽しめよ」
愛しけやし我が家の方よ雲居立ち来も
「懐かしい我が家のある大和の方から、白雲
が流れてくると しみじみとその雲の浮かぶ
空をみつめられたのである。」
おとめの床の辺に我が置きし剣を
太刀、その太刀はや
「ああ あの美夜受比売のそばに置いた太刀も
もう元気になって自分がおびる日はないものか」
伊吹山の神との戦いで素手で行くと草薙の剣
を美夜受比売に預けたのです。
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